総合診療センターの役割の一つに発見の難しい病気の診断を行うことがあります。診断するのは検査によってと思われる方も多いでしょうが、実際には、中心となるのは「話(病歴)」です。

病歴の重要性

病名を診断するうえで、患者さんの「話(病歴)」が非常に重要です。大半は病歴で診断がつきます。検査に異常がなくても病歴で診断することもしばしばあります。

日常的な診療では病歴を聞かせていただくのが基本です。しかし、診療から離れても、小説で病気の話が出てくると、病気の描写から自分なりに病名を推測して、「その病名はないよな」と独りごちています。ある日、読んでいた紫式部の「源氏物語」の重要人物が病気になるのですが、小説の描写から(病歴)から、「この病名だ」と決めつけました。以下は私が書いた毎日新聞デジタル版「医療プレミアム」の記事「教養としての診断学」(2017年3月8日)を一部改変したものです。

葵の上は「怨霊」に殺されたのか?「病気」で死んだのか?

【怨霊に苦しめられた光源⽒の正妻】

約1000年前の平安時代中期に書かれた「源氏物語」には、中心人物が怨霊(おんりょう)に苦しめられる話が出てきます。源氏物語は架空の物語ではありますが、そこに描かれているのは、当時の貴族の風俗、生活、常識です。「怨霊」の話も、現代の私たちから見れば単なる怪談話ですが、平安時代の貴族たちにとっては、リアルで身近な現実の話であったのです。とりわけ「葵」の巻では、怨霊はドラマティックに登場します。光源氏の正妻で、妊娠中の葵の上は、賀茂祭(葵祭)に車で出かけます。車争い(見やすい場所の取り合い)で、六条御息所(源氏の年上の恋人)に恥をかかせることになってしまいます。その後、葵の上は「もののけ(怨霊)」につかれたように苦しめられ始めます。加持祈祷(きとう)を行っても思わしくないまま、葵の上は産気づき、そこに怨霊が姿を現します(ここは源氏物語のクライマックスの⼀つです。加持祈祷の読経が苦しいのでやめてほしい、と言う怨霊とのやりとりを含めて、恐ろしくも読み応えのある場面が出てきます)。葵の上はたいそう苦しみはしたものの、無事に源氏の子、夕霧を出産し、出産を祝う九日目の産養(うぶやしない)も終わります。葵の上の症状は落ち着きますが、邸内に人が少なくなった時、突然苦しみ始め、そのまま死んでしまいます。

【出産関連疾患の病名を推理する】

葵の上が死んだ原因は何でしょう。物語を読んでいる限り、病気に相当する⾔葉は書かれていません。「怨霊のたたりが原因」というのが、平安時代の診断です。その治療法は加持祈祷です。診断に基づいて治療方法が決まっているわけで、その点は極めて論理的とも言えます。とはいっても、ホラー小説として読むのでなければ、現代人の我々から見ると、ばかげて見えるでしょう。現代の診断学で、葵の上がかかった病名を推理しましょう。物語に記載された情報は以下のとおりです。

  • 26歳の女性
  • 妊娠中から体調不良があった。
  • 出産時に強い苦しみがあった。
  • 出産後には症状は消失していた。
  • 出産10日目くらいで急死した。

出産と関連して死に至る病としては(注)、逆子(骨盤位)分娩(ぶんべん)▽産褥(さんじょく)熱▽妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群)▽周産期心筋症(産褥心筋筋症)▽肺塞栓(そくせん)症、が考えられます。分娩を経て症状がいっときなくなったように見えた後、急死したという点からは、肺塞栓症の可能性が高いのではないか、と考えられます。そして肺塞栓症が原因だと仮定すると、こんなストーリーが考えられます。

【エコノミーな病気?】

葵の上は陣痛が強く、難産だったので、周囲は気遣っていつも以上に安静にさせた。言われるまま葵の上は、症状は良くなっていたにもかかわらず、できるだけ体を動かさずに過ごした。10日間も安静状態が続き、葵の上もさすがに退屈になった。その日は、人が出払っていたので、源氏に文を書こうと自ら立ち上がった。葵の上の下肢には、長期の臥床(がしょう=床に伏せること)によって静脈内血栓(血液の塊)ができていた。不幸にもその血栓が下肢の静脈から外れて、血流に乗って心臓に到達、右心房、右心室を経て心臓から肺に向かう肺動脈まで運ばれ、詰まってしまった。詰まったのが細い血管であれば症状は軽かっただろうが、太い血管だったので、たちまち意識がなくなり、そのまま死んでしまった。

この肺塞栓症は、最近は「エコノミークラス症候群」と呼ばれることも増えてきました。飛行機の狭いエコノミークラスの席に長時間座ることで、脚に血栓ができることがあるためですが、同じことが長時間寝込んでいたことで起きたのではないか、という推理です。

  
【怨霊という名前の合理性】

「源氏物語」と同時代の清少納⾔「枕草子」にも体調が良くない時に加持祈祷を受けることが書かれています。僧侶を呼べる経済力・地位のある人にとっては、加持祈祷は「体調不良」に対する通常の対処方法の⼀つだったようです。現代なら、怨霊なんかではなく病気だと考えるでしょうが、もし、あなたが平安時代にタイムスリップをしたとしたら、葵の上を救えるでしょうか。この時代の医療技術では重症の肺塞栓症は救えません。しかし肺塞栓症の予防は可能です。水分を十分にとる、同じ姿勢で何時間も横にならない、貴族である葵の上なら、身の回りの世話をする人がいますから、下肢をマッサージさせるのがよいでしょう。

最先端の医療機器やさまざまな検査を用いずとも、問診だけで⼀定の診断は可能であり、その結果を踏まえた適切な対処で病気を防ぐことができます。このことは、この連載の重要なテーマなのですが、改めて皆さんにその事実を知っていただきたいと思い、1000年前に「怨霊による」と診断された患者を、時を超えて改めて診断するというむちゃな企画を考えました。平安時代は、病気の概念、診断する検査技術(血液、レントゲン、心電図など)、治療法などすべてが現代と大きく異なっています。しかし現代でも、病気の知識と病気の予防・対処方法を知らなければ平安時代と変わらない医療をやってしまうことになりかねません。それにしても、怨霊よばわりされた六条御息所はかわいそうです。何の罪もないのに、病気を起こしたのはお前のせいだと難癖をつけられたのですから。

注:それぞれの病気について、簡単に解説します。

  • 逆子(骨盤位)分娩:通常の分娩は胎児の頭部から先行するが、反対に下肢や臀部(でんぶ)が先行する分娩。母児ともに生命の危険がある。
  • 産褥熱:分娩終了後24時間経過以降、10日目までの間に2日以上、38℃以上の発熱が続く状態。ほとんどは子宮を中心とした細菌感染症。産褥期とは分娩直後から体が妊娠前の状態に戻るまでの期間のことで、通常6~8週間。
  • 妊娠中毒症(妊娠高血圧症候群):妊娠中に高血圧か、高血圧とたんぱく尿を認める状態。著しい血圧上昇が起こった場合、けいれんなどの神経症状や肺、肝臓、腎臓、胎児に障害を起こすことがある。軽いものをいれると妊婦の20人に1人が罹患(りかん)するほど頻度が高い。
  • 周産期心筋症(産褥心筋症):心臓病のなかった女性が、産褥時に心臓の働きが低下することで息切れ、全身のむくみ、倦怠(けんたい)感などの症状を起こす病気。
  • 肺塞栓症:肺動脈に血液の塊が詰まる病気で、息苦しさ、胸痛などの症状があり、突然死することもある。下肢を動かさない状況が長く続くと、下肢静脈に血栓(血液の塊)ができることがあり、それが肺動脈に詰まって起こることが大半の原因。
津村 圭
津村 圭
総合診療センター/センター長
医師研修センター/顧問